2024-01-01から1年間の記事一覧
時にはバレリーナの始動のように、時には飛び込みの踏み出しのように、ある時は体操選手の捻りのように、餌に向かうノビタキの動きは躍動感に溢れている。 何を持って知性というかはさておいて、洗練され研ぎ澄まされた機能美こそ知性の発露ではないか。 ノ…
ソバ畑に来るたびに、ここにノビタキを置いてみたいと何度思ったことだろう。 この秋、幾つものソバ畑で一気にノビタキに遭遇した。 このときめきは何物にも代え難い。 一気に運を使い果たしたってもいい。 と言いつつ、も少しピンがどうにかならんかと欲が…
ソバは日本人のソウルフードだ。 ソバの花はノビタキのソウルフードコートだ。 ソバ畑にノビタキがいないはずはないと信じていたが、これまでずっとすっぽかされてきた。 花には虫がつく、虫には鳥が来る、これ定説。 これで定説を信じるわ。 適当な仮説だけ…
のんびりとソバ畑を眺めてるだけでもいい日になる。 そこにノビタキがいれば1日過ごせる。 育てる人の苦労を差し置いて、花鳥だけ愛でるのは申し訳ないが、心和むのはここが日本の原風景を残してくれているからだろうか。 ノビタキもそれを知っているかのよ…
よく鳥の心人知らずとか申します。 言わねえ? まあ、言うとしときましょう。 2羽のノビタキの絡みを見てどう思うか、人それぞれでございます。 ただの暇つぶしのじゃれ合い、ガン見したろうが、痴話喧嘩、求愛、縄張り争い、老鳥同士の歪み合い、いつの事…
ノビタキの渡りのピークを迎えている。 県北に行くとあちこちにノビタキの姿を見かけた。 これまで出会えなかったのが嘘みたい。 願わくばコスモスやソバ、少なくともセイタカアワダチソウかススキと思うが、ノビタキの勝手、止まらせる方法もないことはない…
昆虫ネタに頼るのは鳥ネタが足りないからではなく、ネタのマンネリ化を避けるためだ。 と言いつつ、やっぱり変化を持たせるためには鳥ネタが足りないと言うことかもしれん。 わたしの中では飛べる奴と言うことで別に引け目はないのだが、まあフットワークの…
実を言うとカケスはカラスのことだと思っていた。 カケスを知っても近くにいるとは思っても見なかった。 悲しい声で鳴くんだろうかと思っていた。 鳥見を始めて結構難物で手を焼いた。 ひどい声なんでいることはわかるが、すぐに姿を隠す。 オオルリを撮って…
わたしにとって絶景は大授搦のシギチの群れを於いて他にない。 度々行けない距離ではないが、いつ行っても見れるというものでもない。 渡りの時期、大潮、時間帯、天候、雨量、気温、シチメンソウの紅葉、シギチの側の生態形、こちとらの体調、懐具合、諸々…
鳥見はタイミングだ。 色々と図って行っても、人知の及ばないこと温暖化の如し。 早く大授搦のネタに会いたくてウズウズしていてもこの残暑の日差しでは命あっての物種だ。 曇りの予報で飛んでいったが、外れ、陰一つない桟敷の暑いこと、危うく年金不要にな…
わたしとは一番縁遠い連休、それぞれの思惑で長者原の駐車場は満杯だった。 まだサメビタキの数は少なく、ツールド九州の交通規制が解かれるまでは身動きが取れない。 レース団が来るまでの時間、スプリントコースが見通せる路肩に陣取って待っていたら、直…
年を取れば何もかも衰える。 歯、目、〇〇・・・ バーダーにとって視力は必須だが、いつしか声はすれども姿は見えず。 ・・・耳 声がしなけりゃ、いないも同然。 だが不思議、朧げながらいることがわかればあとは心眼がある。 殺気を気配で感じられるように…
青い鳥を探すのは愚かである。 ましてやバーダーにおいておや。 青くなくてもいい顔してる鳥、いくらでもいる。 鳥は雌の方がおおむね地味だ。 でも体は大きいし聡明な顔をしている。 鳥に知性はないなんていう説もあるがね。 時々人間の方が鳥ほどの知性も…
バーダーは青に目が無い。 それは青という色にバイアスがあるからだ。 鳥の青は幻だ。 本当の青はどこにもない。 全て構造色だから。 幸せや憧れとも関係ない。 高僧の色も人為的なものだ。 早く目を覚ませバーダーよ。 メスだって十分美しいんだよ。
晴耕雨読というが老バーダーには耕すことも読むことも無理だ。 ただその精神だけは是としたい。 つまり世俗の煩わしさを避け、心穏やかに質素に暮らしたい。 鳥見でそれができるかといえば否である。 昔は40、50で隠居ができたのか知らん。 寿命が長引く…
鳥好きでも虫嫌いはいるだろう。 アカメガシワが好きなのは鳥ばかりじゃないということ。 オレンジ色の彩りを添えてくれているのは、アカギカメムシという南方から北上しつつある昆虫らしい。 まだ匂いは嗅いでないけど、カメムシだとやはり下手に手を出すべ…
リタイヤーの鳥見を終活と思う人がいたら、それは違う。 終活は死期の訪れをジタバタして待つもの、鳥見は四季の訪れをワクワクして待つこと。 つまり未来に続く季節の移ろいへのときめきを持続することすなわち周活だ。 もちろん鳥見しながらコロリといけれ…
舌の根の乾かぬうちにまたエゾちゃんを呼び戻してしまった。 エゾはまだいるわけで、バーダーが自然と足が向いてしまうだけなのだ。 雨を写すのは結構難しいもんだね。 羽の上の雨滴もなかなか着いてくれないし・・ エゾだけでは飽きるから、オオルリ♀の分も…
雨夜花という古い歌がある。 EVAに乗ったとき、機内から台北でのトランジットまでずっとこの曲が流れていた。 わたしのスマホにはテレサテンの歌で入っているが、どことなく物悲しい曲だ。 原曲は苦界に身を沈めた恋人を偲ぶ歌らしいが、日本語の歌詞だと散…
鳥も雨の中でアカメガシワの実を啄んでいる。 バーダーも雨だからといって休むのは申し訳ない。 というか、行くところがないから暑さしのぎと時間潰しに会いにくるわけだ。 ロートルバーダーも辛いもんだぜ。 アカメガシワの実も大分少なくなって、やっと下…
秋酣の頃通っていくのがサメビタキだ。 いつもは10月の下旬なのだが、高原のクヌギ林にはもう姿を現してくれた。 1月前から来ていたエゾビタキに追われてはいたが。 去年はすぐ近くでホバリングして虫を捕っていた。 しばらく通えるかな、ちょっと遠いけど。…
鳥ネタがないのも困るが、似たようなショットがありすぎるのも困る。 優柔不断でズボラなバーダーは、おおむね泥縄ではあるが、溜まったショットを一応ジャンル分けしてネタを繕う。 鳥の種類は限られているから、同じ種で季節、雌雄、成若姿の違うものは好…
ネタというのは一石何鳥にもなるように撮るのが年の功というか狡猾さなのだ。 ボケたふりして同じネタを使いまわしてもいいが、本当にボケてたら困る。 鳥だから降りているところ、採餌しているところ、飛んでるところ、バトルしているところ、オスメス、成…
シギの群れが蓮田に降りた。 ムナグロは干潟より畑地で見ることの方が多い。 ムナグロ好みの餌が多いのかな。 こっちの方が近くで見れる。 幼鳥が多いような気がするけど、それも嬉しい。
アカメガシワで待っていれば一石二鳥だ。 エゾビタキが主役だがオオルリ、キビタキ、メジロ、ヤマガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、エナガ、リュウキュウサンショウクイ、ヒヨドリそしてクロツグミがやってきた。 実に止まるエゾビタキは撮りやすいが、葉…
まだアカメガシワの実は残っているけれど、週末の人出で賑わうときは敬遠するのでもうこれでお別れだろう。 平均寿命まできたバーダーはもう来年のことは言うまい。 ただ鳥見をやる気は捨てないつもり、でないとボケるはず。 やっぱり、またね、と言っておこ…
ただ飛んでるところを撮っただけというのでは能がない。 どこか魅力を引き出してやらねば、あるいは新たな視点というものを感じさせなければと思ってはいるが、能ない鷹に爪もない。 そこは能あるエゾビタキの爪に頼らざるを得ない。 何言ってんだか。 その…
キビタキのメスとオオルリのメス、いまだに識別が難しい。 撮ってるときは鳴き声や大きさで割とわかるんだが、いざ画像で選り分ける段になると迷ってしまう。 なるべく喉が白い、背中がオリーブ色、小柄な感じなどのはっきりしたものから選んではみたが、そ…
高齢者が運転を止めると、要介護や認知症になるリスクが増大する。 これは老年学会や国立長寿医療研究センターの最近の見解なのだ。 だから周りから引導を渡されるまでは、年齢だけを理由に運転や外出をやめたくない。 もちろん自分で自覚できないことを、い…
久しぶりにシギチのメッカへ遠出した。 鳥よりも何よりも天気次第だ。 陰のないところだから、陽がさせば危ない。 予報では曇り時々雨だったが、あいにくドピーカンだった。 潮風は幾分涼しくても日差しは容赦なく照りつける。 シギチもまだピークではない。…