いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

ゴジュウカラのお宅探訪

ゴジュウカラのお誘い(囀り)に甘えて、ちょっと近くから眺めさせてもらった。

遠くからそれとなく示唆されて、盗み見たと言うのが本当のところだが、その究極のシンプルライフは十分に見てとれた。

必要にして十分、絵もない、花もない、歌もない、飾る言葉も、洒落もない、そんな洞部屋に。

物欲のないものは強い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴジュウカラの春よ来い

ゴジュウカラはやや標高の高いあたりに棲む。

我が家は山裾にあるので、15分も走れば標高600mのキャンプ場に着く。

以前に比べれば鳥の声も少なくなってきたが、今はゴジュウカラのピーピー鳴く声が喧しい。

これならわたしの悪い耳でも聞き分けられる。

ありがたくしばらく付き合ってもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘラサギ15羽クロツラ5羽の干潟渡り

北の河口で越冬していたヘラさぎとクロツラヘラサギの群れも、冠羽が次第に夏羽の黄金色に変わり始めた。

でも、わたしの狙いはまだまだ群れの飛翔だ。

青い海の上、青い空をバックに飛ぶ白いサギの群れは、わたしの鳥見の一番の醍醐味だ。

夢と現実の境が朧な老ウォッチャーにとっては白昼夢なのかもしれない。

滅多にこんな光景に出会うことはないけれど、ただ当たりをつけて待っている間にも、十分な充足感がある。

飛ばなくても、撮り逃しても、まだまだチャンスはあるはずだと信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河口の友

同工異曲のネタだって、老いぼれバーダーにしてみればいつこれっきりということにならないとも限らない辞世のつもりなのだ、なんて冗談。

端境期の常套手段なのだ。

だが、断捨離無縁の昭和気質でよかったわけだ。

とりあえず更新できて、無事の知らせだけはできたのだから。

脳の老化は知らんけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

イカルの中にいるかコのつく子

イカイカイカルシメイカイカイカイカルシメイカイカイカカワラヒワイカイカイカイカイカルスズメイカイカルイルカイカイカイカイカイカイカ

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残念!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例え日陰の鳥でいい

旅鳥の通過や夏鳥の飛来にはまだ間がある。

居残っている冬鳥でも悪くはないが、できれば目新しいネタがいい。

ネタがないという話ばかりではマンネリ感が哀しい。

そんなとき、寅さんに会いに行く。

なんだマンネリじゃねえかというなかれ。

ウソがいたり、コガラがいたりするはずなんだけどな。

季節の変わり目をあなたの姿で知るなんて、もうネタも、もうネタも終わるのね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠からんものは双眼鏡を持て近くば寄って目でも見よ

何だってそう、知らなければいないも同じ。

いたって目に入らない。

遠ければ塵と同じか、単なる鳥。

知れば知るほど見たくなる。

見れば見るほど愛着が湧く。

愛着が湧くほど物入りになる。

そ〜れで身上つ〜ぶした、あ〜もっともだ、もっともだ。