いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

アオサギにもサクラにも罪はない

狙いはハゼミサゴ、ハゼセミである。
そのための高い位置のミサゴ席、ヤマセミ飛込み台である。
こういう位置に止まり木がセットされたのを最初見たときは、一種のカルチャーショックだった。
鳥は追うものではなく招くものであるという発想。
川の中には水浴び用、レストラン用の止まり木もある。
ちょっと違うが、ルリビタキのレストランという呼び出し手法もマジックに等しい。
朝から基地に籠もったがこの日は外れだった。
アオサギがその席を占領していたせいかミサゴもヤマセミも姿は見せなかった。
アオサギが飛び去ってからはシジュウカラしか来なかった。
帰りは県民の森を回って野津原に下った。
紅葉の由布鶴見を遠望する坂道に、季節外れ常識外れのヒマワリとカンナと冬桜が咲いていた。
非日常な光景、それは心のバランスを保つ分銅である。
淀んだ精神の風通しをよくする風穴である。
日常を俯瞰しジャンプするための止まり木である。
鳥見も普段見えないものを見るという意味で非常識いや非日常の行為であるに違いない。
止まり木に止まりっぱなしのバーダーもいるが。

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