いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

侘び寂びというか、地味というか

オシドリとかキジのような満艦飾の派手な鳥は、却って絵にするのがむつかしい。
美しいものをそれなりに撮っても、それはそれなりのこと、より美しく撮らねば撮ったとはいえない。フジフイルムの時代ならそれでよかったんだけど。
その点、地味な鳥はそれなりでも十分絵になる。
見る人の感じるところが違うんですな。
地味なところに何か意味づけをしようとしてくれる。
枯山水備前焼に美を見出したように(ホントか)。
鳥見も、虚飾を排した野鳥の健気さを見抜くことなんですな。
地味すぎるオオジュリンをネタにする正当な理由がこれにあるというわけですわ。
苦しい~

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