いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

見たような見てないような話

物を見るということはそれと認識することでなくてはならない。

ちょっと違うということがわかるということでもいい。

適当に漠然と写して見たというのはちょっと烏滸がましいかと・・・

カラフトアオアシシギとヒメハマシギの話は聞こえていた。

わたしは手すりの上は適当に流しておいた。

整理しながら一応名前をつけてみてこれかと思うものを残しておいた。

まあ、見たとはいわないが袖触れ合うも多少の縁だ。