いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

アオバズクロス

最近、胸がときめいて夜も寝付けない。
小便が近かったり、熱帯夜のせいなら鬱陶しいだけだ。
この年で恋なのかと、心当たりの女性を思い浮かべようとしたが在庫はない。

昨日の朝日新聞鷲田清一のコラム「折々のことば」を読んで腑に落ちた。
与謝野晶子の「いずくへか帰る日近き心地してこの世のもののなつかしきころ」という歌の解題だ。
「人は自らの死を朧に意識しだすと、普段は目もくれない身のまわりの物にふと、慈しむかのようなまなざしを注ぐようになる。」と書かれている。
確かに死期を悟った人がそうした気持ちになることは納得がいく。
それがついに自分の身に起こったのか。
心のどこかで、余命のことは考えている。
それでアオバズクを愛おしむ気になっているのだ。
アオバズクが恋人だ。

今日はどうしているだろうと会わずにはいられない。
今朝は新しいヒナが出たかしらん。
いそいそと営巣地に駆けつける。

あれ、昨日のヒナの居場所も、親の居場所ももぬけの殻だ。
必死に探して、昨日より下の方の葉陰に2羽のヒナを見つけた。
新しいヒナかしら。
親は餌を探しに行ったのか。
親が2羽とも行くことはない。
もう移動を始めたのかもしれない。
それから何時間おきかにチェックして、50メートル離れた樫の木にオスの姿を見つけた。
さらに奥の葉陰に1羽のヒナとメスの姿を見出した。
さらに数時間待ったが、営巣木のヒナは動かなかった。

明日にはもうみんな山の方に移動してるだろう。
来年もまた来いよと手を振って、別れを告げた。
帰り道、胸にぽっかり、空になった樹洞のように穴が空いていた。

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