いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

ああ、ルリビタキのレストラン

ルリビタキのレストランというのは、名人が編み出したルリビタキを呼び出す秀逸な手法のことだ。
ルリビタキの気配のあるところで店を開くと、マジックのようにルリビタキが飛出して来る。
悔しいことに、わたしにはその気配も感じきれないし、やってもなんの反応もない。
こういうことができるのは、まさに希代のセレンディピティによるものだとしか思えない。
ただ、そこら辺の地面をかきまわすだけのことなのだが。
名人がこどものころ、山芋掘りをしているところに、ルリビタキが寄ってきた、という経験にもとづいている。
そこには、人とルリビタキの間の長い共生の記憶や、農耕という生活文化の伝統が息づいている。
わたしの付け焼き刃は、ルリビタキにすぐに見透かされてしまうし、もともとなんのエッセンスもない。
一見、なんの変哲もない、がさつにさえ見えるパフォーマンスが、ルリビタキの琴線に触れるという事実は、わたしの処世術さえ危うくしかねないものだ。
高い見料を払ってでも見る価値のあるショーのようでもある。
わたしはルリビタキに出会えた至福につつまれながらも、レストランで食い逃げしていく客のような後ろめたさをいだきつつ、いつもその場を後にする。

イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5


イメージ 6


イメージ 7