いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

映えなくたっていいじゃないかジョビちゃんだもの

声はすれども姿は見えず、ほんにお前は屁のような、というのが鳥見の常である。

鳥の存在を感知する、それが鳥見の要諦である。

耳は遠く、目は霞んできてはどうしようもないが、声は微かでも、姿はぼやけても、そこはそれ年の功である。

ジョウビタキくらいなら何とかなる。

ススキの影に隠れていても一応見つけられる。

われながら成長したものだ。

心眼で見るのだ、ほんとか?