声はすれども姿は見えず、ほんにお前は屁のような、というのが鳥見の常である。 鳥の存在を感知する、それが鳥見の要諦である。 耳は遠く、目は霞んできてはどうしようもないが、声は微かでも、姿はぼやけても、そこはそれ年の功である。 ジョウビタキくらい…
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