いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

千鳥万歳

確かに、鳥見ブログというのはたいした情報量もなし、オリジナリティーもなし、惰性の産物にすぎないが、当人にとってはその惰性のスピード感というのが、生きている実感のバロメーターなのだ。
あいつもう長くないなと思われないように、続けているにすぎないのだ。
わたしの鳥見は、野鳥を擬人化したり、感情移入したりして楽しむわけではない。
野鳥という非情で自在な生き物の存在を意識することで、価値観というものをシンプルにして行くのだわ。
枯れるとはそういうことなんだが、なかなか。

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