いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

行行子(よしきり)の舌の謎

高校の国語の教科書に、草野心平の富士山という詩があった。
その中に

行行子は鳴く。
行行子の舌にも春のひかり。

という一節がある。
春の光の眩しさが隅々にまで届いている様が鮮やかに描かれている。
そうした表現の巧みさに感心したというより、ヨシキリというものの声も姿も皆目見当がつかない頭で、それが現実のイメージとして描かれたのかどうかということばかりに関心が行き、拭いきれない謎として、この年まで抱え込んできた。
いよいよ検証のときが来たと、週末にまとめて撮ったオオヨシキリのショットを仔細にながめてみた。
何ショットかに舌らしきものが見える。
幽かな光もある。
だが、詩人は体験的事実の描写として、こんな表現をしたのではないだろう。
とても、肉眼で見えるものではないから。
そのことは、別の一節

少女たちはうまごやしの花を摘んでは巧みな手さばきで花環をつくる。
それをなわにして縄跳びをする。

というレトリックで明らかだったのだ。
富士を囲むための花輪の円。
検証すべきは、わたしの詩的センス(ゆ~のか)だったのか。

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