いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

ゴジュウカラ

鳥見をしているといろいろなことを教えられる。
野鳥は決して自分のためだけに生きているのではない。
子孫を残すために、長い旅をしたり、あえて過酷な環境に住処を選んだり、粗食に耐えたり、ときには自らを他の生物の犠牲にして子孫を守ったりと、決して自身の生を謳歌するために生きているのではないということがわかる。
それが自然の摂理というものなのだ。
鳥も含めて生き物はすべて他の生き物との依存関係で生活している。
人間だけが自己本位に生きている。

残り少なくなった一本のハゼの木に集まる沢山の鳥たち、子孫を残すためには採餌行動、危機管理は必須だ。
だから餌さえあればどこでもいいというわけにはいかない。
人の目を楽しませてくれる小鳥たちも常にぎりぎりのところで生きている。
そんな場所ももうそんなにたくさんあるわけではない。

そんな達人が愛する一本のハゼの木が坊主山にある。

ミヤマホオジロにつづいてゴジュウカラ
木を逆さまに下りてくる
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来る前はやかましいのですぐわかる
おまえら退けといっているらしい
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まず餌をくわえられるだけくわえて他所に持って行って食べる
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ひまわりの種も好物
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尻の赤いのにびっくりしたら別に痔主ではないらしい
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鳥の色や模様には意味があるらしいが、目を攻撃から守るための配色というのもその1つ
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いま全部食べるわけじゃない
人間なんぞよりずっと長いスパンで考えている
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