いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

旨い話とシマアジ

思い出はフィクションである。
恥多き時代を共有した同士が、クラス会と称して集まるのは、何らかの思惑、魂胆があるからである。
無心ではないものの、ちょっとした頼み事があり、久しぶりにクラス会とやらに出る気になった。
ついでに鳥見のポイントを回れば、一石二鳥である。
どちらが主か従か問うのは無意味である。
クラス会といえども年令の幅はある。
老け具合、ボケ具合はそれぞれだけど、同じ業界の気安さはある。
頼み事はいまさらで、頼りになりそうな奴もいなかった。
鳥見の方も雨でオジャンだった。
それでも、ネタを探して、雨の少なそうな方、何かいそうな方へと徘徊した。
それが週末の、いやボケ老人のならいなら。
いずれにしろアブもハチもカモもいなかった。

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