いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

タシギの存在の耐えられない軽さ

わたしの中のタシギは決して軽い存在ではない。

決してブサイクで間の抜けた存在でもない。

存在感がないなどということもカメラ映えしないということもない。

押し付けがましさもケレン味溢れるということもない。

わたしは決して反対のことを言っているのではないからね。

ショットを見ればわかるだろう。