いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

タシギの田 タゲリの田

人は田んぼを根っからの自然のように思い込んでいる。
それはまるっきり違う。
人の、人による、人のための疑似自然である。
鳥にとって、そんなことはどうでもいいだろう。
ソラーパネルよりはよほどマシだし。
自然は、人にとっては、克服し、利用し、荒廃させる対象できた。
鳥はまだ見える。
見えない小生物は見えないことをいいことに、初めからいないことになっている。
人も自然の一部ということを忘れて、そのうち自分の足を食わねばならなくなるように進化するつもりでいるのかもしれない。

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