いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

さよならをするために

私事だが家内の父親が亡くなった。
これでうちの親たちは全員逝ってしまった。
世の中は順送りだと納得はしているが次の順番の筆頭に自分の名前が上がってきた。人は我が身を思って死を悼む。

こういうことを忘れる対応手段として葬儀というものが考え出されたのだろうが、そこにつけいる商魂やレトリックにはいささか辟易する。

臨終への立ち会いと骨を拾うことだけが、残されたものが死と直面し受け入れるための手続きとして必要なだけで後は方便だ。

人間は面倒だ、鳥に葬式はない。

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