いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

猪ノ瀬戸の記憶

記憶はすべてフィクションであるという説に異を唱えるつもりも、首肯するつもりもないが、なんとなく記憶の底にある風景が猪ノ瀬戸であるような気がしてならなかった。
見渡す限りの芒が原を父親らしき後ろ姿を追いながら歩いていて峠の頂上に出ると、やがて眼下に藁葺き屋根が点在する田園風景が広がっている。それから汽車に乗って着いたところからまた坂道をとぼとぼと歩いていく。
父の出身が庄内町の山間部だったから、別府からそこに辿る道中だと考えると辻褄は合う。
物心ついたかつかないかのこどもに風景に目を遣る余裕はなかったかもしれないけど、湿原ののどかな道はいくばくかの感動を与えるのに十分だったのかもしれない。

イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4


イメージ 5


イメージ 6


イメージ 7


イメージ 8