アカハラダカを撮影するのはなまなかなことではない。
遠い、小さい、早いと3拍子揃って、なかなかの曲者だ。
まずは、カウンターの人たちの日報である「赤腹鷹柱」を閲覧して、彼らが現れる時期を占わねばならない。
別にあるガイドサイトで、現れやすい時刻や方向など諸々の情報も仕入れなければなるまい。
だがしかし、2T1Hの3拍子である。
自分の目で、アカハラダカの出現を先駆けようとすることは無謀といえる。
そこは毎日常駐してくださるカウンターの方々や、ベテランバーダーさんのつぶやきやしぐさに従うのがいい。
ただ、いくら「〇〇」の方向の白い雲の上とか言われても、どれが「〇〇」か、どの白雲かを見極めるには、あるていどの現場実習がいる。
フィールドスコープで見え始めたといわれても、双眼鏡で捉えるには少々の習熟がいるし、肉眼で確認できるところまできて、いざレンズを向けてもピントは合わない、ファインダーには収まらないで、どんどん流れていって消えてしまう。
近付けば近付いたで、多すぎたり、ばらけたりで、全体像は捉え切れない。
せっかくの鳥球が、何だこりゃあになってしまう。
だから、日報と自分が見た数とでは大きな隔たりがあるように思えてしまう。
そうはいっても、アカハラダカの渡りという壮大な行為と荘厳なゴマ粒への感動は残って、さらなる高みへアカハラダカとともに上っていくだろう。
遠い、小さい、早いと3拍子揃って、なかなかの曲者だ。
まずは、カウンターの人たちの日報である「赤腹鷹柱」を閲覧して、彼らが現れる時期を占わねばならない。
別にあるガイドサイトで、現れやすい時刻や方向など諸々の情報も仕入れなければなるまい。
だがしかし、2T1Hの3拍子である。
自分の目で、アカハラダカの出現を先駆けようとすることは無謀といえる。
そこは毎日常駐してくださるカウンターの方々や、ベテランバーダーさんのつぶやきやしぐさに従うのがいい。
ただ、いくら「〇〇」の方向の白い雲の上とか言われても、どれが「〇〇」か、どの白雲かを見極めるには、あるていどの現場実習がいる。
フィールドスコープで見え始めたといわれても、双眼鏡で捉えるには少々の習熟がいるし、肉眼で確認できるところまできて、いざレンズを向けてもピントは合わない、ファインダーには収まらないで、どんどん流れていって消えてしまう。
近付けば近付いたで、多すぎたり、ばらけたりで、全体像は捉え切れない。
せっかくの鳥球が、何だこりゃあになってしまう。
だから、日報と自分が見た数とでは大きな隔たりがあるように思えてしまう。
そうはいっても、アカハラダカの渡りという壮大な行為と荘厳なゴマ粒への感動は残って、さらなる高みへアカハラダカとともに上っていくだろう。