いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

オオジュリンタゲリのミサゴ

土曜日はネタも尽きて気息奄々となる。
尽きないほうがおかしいのだが、意地である。
何のための意地か自分でもわからないが、習慣というのは恐ろしい。
やめたらこの世の終わりのように思えてくるのである。
でも、救いの神はいる。
奇をてらって贅沢を言わなければ、孝行鳥はいる。

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