こどもの頃の思い出の中に鳥の姿はない。
見えていないはずはないが、鮮明な記憶としてはない。
いないも同然だった。
ハジロカイツブリを初めて見たのは、鳥見を始めて間も無くの長洲漁港の冬のうねりの中に浮き沈みする姿だった。
何か新しい生き物が誕生したところに立ち会ったような、新鮮な感動だった。
鳥見はそういうものである。
同じハジロカイツブリを見ても、いつも違った姿を見せてくる。
まだ派手な夏羽を見ていない。
忘れてしまっているのかもしれないが。
また新しい感動があるならそれがいい。
見えていないはずはないが、鮮明な記憶としてはない。
いないも同然だった。
ハジロカイツブリを初めて見たのは、鳥見を始めて間も無くの長洲漁港の冬のうねりの中に浮き沈みする姿だった。
何か新しい生き物が誕生したところに立ち会ったような、新鮮な感動だった。
鳥見はそういうものである。
同じハジロカイツブリを見ても、いつも違った姿を見せてくる。
まだ派手な夏羽を見ていない。
忘れてしまっているのかもしれないが。
また新しい感動があるならそれがいい。