いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

存在の耐えられない軽ガモ

「存在の耐えられない軽さ」という本は読んでない。
映画は見たけど、若い頃で、ジュリエット・ビノシュの大胆さに翻弄されただけだった。
いつかこのタイトルの意味がわかるようになるかもと思って来たけど、ついに本を読む気力も読解力も身につかなかった。
もはや鳥見ブログのタイトルのもじりに使って粋がるしかない。
こうはいっても、カルガモさんを軽視しているわけではない。
親ガモはそれなりに、ヒナはみなかわいい。
ただ、その命は余りにも軽い。
生存の歩留まりは悪いが、それが自然の摂理ならいたしかたない。
鳥は宿命なんて思わない。
鳥は軽やかに、淡々と生をを全うする。
軽々に命の軽重を云々するのは、軽佻浮薄の誹りを免れまい。
カルガモのカルは軽だけど、橿原の軽ヶ池からきている。

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