いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

報道されないことを想像する

メディアが伝える情報というのはすべてのできごとのほんのピンポイントでしかない。
メディアが取捨選択して作為を加えた主観的映像にすぎない。

現場だって被災者の数だって、最初はわからないことばかりで仕方ないにしても、ただ先陣争いだけで、ことの重大さを見通した報道は少ない。

人は大きな悲しみにおそわれたとき、自分の思いを閉じ込めて何事もなかったように振る舞うことがある。
どう反応したらいいか自分でも途方にくれているのだ。
上辺だけ見て人の気持ちを推し量るのは難しい。
そんな被災者の気持ちを忖度できる報道でなければ意味がない。

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