いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

鳥見のわけ

鳥見を始めてこの頃見えてきたこと、それは鳥見にのめりこむ向き合い方である。

わたしの鳥見をサポートしていただいている方々をみてみると、それは様々ではあるが、ただ共通していることは、ふつう、人が見ていないものを見ているようだということ。

名人は人が感じとれない自然界の微妙な変化や本質を見抜き、人の何倍もの情報をそこから得ている。

HOKKEさんは歌を詠む心と生きとし生けるものへの美意識との接点を探っておられる。

Hachimannさんはあらゆる事象のなかに人が見過ごしがちな感動を掬い上げて、生の
営みの素晴らしさを指し示してくれる。

鳥天さんはレンズを通して天体と野鳥に通底する法則とロマンを求めるパイオニアだ。

わたしはこの人たちを七瀬川カルテット(四天王)と呼んだが、最近そのグループには「夢」というちゃんとした名称があるということを知った。

で、わたしはといえば、いままで見向きもしなかった鳥たちの姿がおぼろげに見えてきたといったところだろうか。まだしっかりと目覚めていない夢うつつの状態だ。

イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


イメージ 4