いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

我は行く白い目で見られるままで

なんでこんな寒空に出ていくのか、それは鳥見が、生きている証だからだ。

なんとも安っぽい、いい加減な証だろうが、自己弁護には十分だ。

鳥は自由と解放の象徴だ。

地球を俯瞰し、境界を軽々と越える。

意思の疎通とは、言葉を交わすことでなく、寄り添い共感すること。

背を丸めてこたつに潜っていることは、囚われの身に似る。

夢でも希望でもない、人に何かを求めるのでも、人に強いられるのでもない、ただあるがままの存在感に魅入る。

乏しい感覚を総動員して、タイミングを計りながら、想像力をめぐらす。

結果ではない、目標に向かう集中力こそが、生への欲求の源。

知らんけど。