いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

カモメ3/4

今となっては、海岸に行って、ズグロカモメを眺めることだって、十分な悦楽だ。

そこに行けること、それを認識できること、シャッターを切れること、つまりは健康寿命というものが、まだ伸び代が残っていたということだから(?)

今日鳥見の要があるということは、そこそこの今日要を培ってきたとも言える。

薹のたった独活のように、そのうちポキンと朽ち果ててくれたらいうことないのだがな。