いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

雨上がりの湿田 2

鳥見とは待つことである。

求めることでも追うことでもない。

ただ漫然と待つことでもない。

予想し、計算し、辛抱し、集中する。

結果がどうであれ、待つというプロセスが大事なのだ。

ただ、待つということにも、ピンからキリまである。

待った甲斐があるかどうかは、鳥に出会えたかどうかより、いかに全力を尽くしたかにある。

そう思わないと、鳥見なんてやってられない。