鳥が好きなのか、鳥見に出かけることが好きなのか、いまになってもよくわからない。
なんでも10年続ければ、それなりにものになるというが、その気配もない。
昨年仕事をリタイアして、さあ、しっかり鳥見をするぞと張り切ったものの、そう毎日目当てがあるわけではない。
車を走らせて、さあどこへ行こうかと考える。
ひとまず西へと向かっても、高速の分岐点で右か左かと迷っている。
鳥の情報というのは、確実なものはない。
堅いといわれて行って見ても、いま抜けたばかりということもある。
鳥の考えることは人知の及ばざるところである。
会うもよし、会わざるもよし。
鳥見も行き当たりばったりがわたしの人生だ。
近場のキアシシギが慰めてくれる。