2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧
オシドリはカラフルで派手な鳥のようだけど、天気の悪い日や日陰にいると目立たない地味な鳥だ。 飛んで来たって、目を凝らしてしばらくしないと、カルガモと大して違わない。 むしろメスの方がきれいなグレーで、先にそれとわかる。 一旦光が当たると、何故…
バーダーはストーカーみたいなものである。 ただ恐怖感やストレスを与えない、善良なストーカーでなければなるまい。 オシドリに覚られなければ、一丁前のストーカー、いや、バーダーといえる。 なに、ただハイドに籠ってじっとしてればいいだけやけどね。 …
近所のカフェのギャラリーで、鳥見仲間で「気まぐれ写真館」主宰のHachimanさんが西尾さんという写真家の方と「大分の四季と野の鳥と」という二人展を開いている。 Hachimanさんもほとんどプロなので、その作品の素晴らしさはいうまでもない。 ブログで見る…
地元でも、やっと、クローン桜の開花宣言が出たけれど、一足お先に、河津桜から寒緋桜、山桜と次々に咲き続けている。 ちょっとネタ探しに公園に出かけてみると、白い桜が満開で神々しいほどだった。 メジロやヒヨドリが次々に入って、あるのかないのか花蜜…
一度も上げなかったが、今冬はツグミが多かった。 その群れに混じってハチジョウツグミは下ってきたのだろうか。 ひとりぼっちで、まだ海浜公園で頑張っている。 人の気配くらいでは逃げない。 逃げるのは犬が近づいたときくらいだ。 人との距離はずいぶん近…
大分にもたまに珍迷稀鳥が入る。 それをちゃんと捉えるバーダーがいるのが凄い。 ひょっとして、バーダーの目を逃れて、もっとたくさんの珍迷稀とかが通過しているのかもしれない。 夜陰に乗じて渡るのは手に負えない。 元気がいいのもダメだろう。 警戒心が…
干潟や浅瀬で採餌するシギチは、満潮時は潮に押されて、浅場や陸に退避する。 大潮のときは残った退避場所は少ないから、何カ所かチェックすれば足りる。 数日前、見かけたダイシャクシギを追って県北に出かけたが、影も形もなかった。 本格的な渡りのシーズ…
鳥見は偶然の産物のこともあるが、一面、限りなく必然に近い偶然ということもある。 鳥見に必然はない。 なぜなら人は鳥と意思の疎通ができないからね。 鳥さんに今度いつどこそこで会いませんかと約束することはできない。 でも、鳥さんの考えることをそこ…
週末バーダーのやっかいなところは、ブログネタの仕込みが乏しいことである。 ましてや、行き当りばったりの犬棒スタイルでは、一層不安定である。 量より質を目指しても、質というのはセンスだから、はなから無理。 週末バーダー殺すに刃物はいらぬ、雨の土…
昨日の今日、舌の根の乾かぬうちに、おまえバカじゃねとお思いでしょうが、バカです。 自慢じゃないが、このブログの前のタイトルだって、たしかバカ撮りさっさだったし。 というわけで、今日も今日とて鳥曇り、居ても立ってもいられず、浜にでかけると、お…
鳥曇りは、先日触れたように、冬鳥が旅立つ頃の曇り空なのだが、同時に旅鳥や夏鳥に入れ替わる頃でもある。 冬鳥がまだ居残っているかどうかと浜に行くと、運良くシギの渡りの初認日となった。 一番多く鳥影が写ったショットで数えたが100羽で止めた。 お…
どんな見解も一面の真理に過ぎない。 どんな論説も建前に過ぎない。 これが感想となると、その場しのぎの思い付きに過ぎない。 「仲良き事は美しき哉」という文句は、別にそうであっても構わないが、感想にしか過ぎない。 オシドリ夫婦一つとっても、そんな…
やっとポカポカ陽気になりました。 公園の池では野鳥たちの水浴シーンが繰り広げられていました。 ビンズイ、カワラヒワ、ヒヨドリ、スズメ、キジバト、カラスあまりそそられるほどのものではありませんが。 人に見られる方が、安心だと心得ているらしき、ム…
オシドリとかキジのような満艦飾の派手な鳥は、却って絵にするのがむつかしい。 美しいものをそれなりに撮っても、それはそれなりのこと、より美しく撮らねば撮ったとはいえない。フジフイルムの時代ならそれでよかったんだけど。 その点、地味な鳥はそれな…
高橋真梨子の「蜃気楼」の歌詞の「○○は散り際が華」という部分だけが、耳に残っている。 別に思い当たる節はないし、全然そんな風に思っているわけではない。 ただ、河津桜は○○と同様、散り際が見栄えするように思う。 旬を逃した桜でも、バックに紅梅の枯れ…
前のエントリは満潮時、ツクシガモが浜に退避していて、干潮時、最初の引き際に移動するときの光景だ。 これは、そこから干潟の浅瀬に出動するところで、この後の飛翔を狙っているときのショットだ。 まだ旅立ちのショットとはいえないし、天気も快晴で、鳥…
歳時記で鳥曇りという季語を見つけたとき、どういう意味か知らないものの、バーダーとしての嗅覚をくすぐるものがあった。 それは、冬鳥が旅立つ、ちょうど今頃の曇り空だということだったが、なにか春先の鬱屈の中に、清新な首途の気分も孕んでいるようであ…
だいたいイソヒヨドリはヒヨドリの仲間ではない。 ツグミの仲間だど~ ツグミやハチジョウツグミだって磯におるだど~ イソヒヨドリは街中だって、山の中だっておるだど~ どこにだっておるけど、磯の色に溶け込んどるんは間違えねえ。 俺の目で見つけにき~…
ズグロカモメは主に九州で越冬する、嘴が黒い冬鳥である。 大分では長洲の海岸で多く見られる。 もう夏羽のズグロがボチボチ見られる。 新浜海岸の砂地で、群れて、空中から舞い降りてはカニ?を採餌していた。 青空に映える。 餌を見つけて降下する。 近く…
公園ではエナガが巣材集めの真っ最中。 巣の場所も教えてもらったけれど、高いし、松葉を透かしてだし、空抜けだしで、それと見分けるのも大ごと。 下から見えないことより、上からカラスに狙われないかと気がかりだ。 それでも結構歩留まりはいいんだろう、…
シロハラは、互いに干渉せず、群れもせず、気ままなシングルライフを送っているようで、羨ましく思っていた、なんてことはこれっぽっちもない。 ツグミなんかとは小競り合いはあるようだが、やさしいモンロー主義者かと思っていた。 上人が浜でネタハンをし…
ツクシガモの飛翔を撮ろうと杵築と宇佐、あわせて10回以上通っただろうか。 今回は天気、潮、距離方向、数、移動経路など、すべての条件がお誂えだった。 鳥見は鳥まかせのギャンブルだから、結局は運がよかったということになるが、いくらかは狙って当た…
写真はフィクションである。 誰もその目で見たことのない、再現不能な幻である。 自然に、ノイズやピンぼけはない。 肉眼での見え方だって、一人一人違う。 ましてや、鳥の考えていることなんて想像さえできない。 人と違うらしいことはわかるけど、なんだか…
野鳥というのはなかなか識別が難しい。 イメージがきっちり頭に入っていれば、問題ないのかもしれないけれど、大まかでも、細部に拘ってもうまくいかない。 人だって間違った名前で呼ばれたらいやだろうから、現場では一応当たり障りのない名前で呼んでおい…
わたしにとってオシドリとは渓流で見るものである。 水の美しさ、渓谷美と合せれば、オシドリならずとも、馬子にも衣装ではあるが。 とはいえ、絵になるためには、アプローチと、間合いと、見通せるアングルと、明るさと、シャッター音に被せる自然音と、そ…
鳥見ブログのつもりだから、鳥ネタ主体ではあるが、うち水辺の鳥の占める割合が6、7割と多い。 海や川をながめていれば十分だから、そこにうろついている鳥にレンズを向ければ、仕込みは間に合う。 ブログは余録ということでいい。 水辺の鳥といっても、陸…
バーダーは季節に寄り添う。 野鳥そのものが季節の体現ではある。 季節ごと、姿形を変えるものもあれば、現れる時期が限られたものもある。 しかし、それだけでは季節感を発露できないものも多い。 その点、水鳥は水とのコラボだけで旬としての発信力が生ま…
週末バーダーにとって、雨はつらい。 しかし、泣く子も悪天候もない。 一先ず、水門の傍に車をつけて下をながめるも、クイナは鳴かず、カワセミも飛ばず。 大分川の堤防に移ると、オシドリの群れが対岸を下流に向かっている。 雨でバーダーは来ぬと油断して…