いきあたりばっ撮り

カメラを抱いた渡り鳥

老後のネタがありません

鳥ネタに拘るもんだからこんなことになる。

まあしかし、拘りを捨てればなんとかなる。

自分で自分の首を絞めなければ。

要はチャレンジ、前向きになること。

カメラについている深度合成、鳥で試す前にとりあえず花でやってみた。

と言っても、設定をonにしてシャッター押すだけなんですけど。

あっけないなあ。

ボケ防止になっとるんかなあ。

 

 

 

これから新しいネタを求めて中米グアテマラに旅立ちます。

鳥見を始めてケツァールという美しい鳥を知り、それに会うことが夢になりました。

4年前にこどもたちがお膳立てしてくれましたが、コロナ禍で叶いませんでした。

最初に目指したコスタリカではありませんが、グアテマラも同じ種のGuatemalan Resplendent Quetzalがいて国旗に描かれたり、通貨の単位になったりしています。

娘の一人が去年別の目的で出かけ、それを見てきてぜひみんなで出かけようということになりました。

わたしも年齢的に果たして耐えられるかどうか不安はありますが、家族旅行で叶った遠征でもあり、しっかり僥倖を噛み締めてきたいと思っています。

一応探鳥記としてこの後このブログのテーマにしていきますが、リアルタイムでもそれができるのかどうか心もとないことではありますが、同じ気持ちを持った人の踏み出すきっかけとして少しでも役立てれば嬉しいです。

コチドリの空中浮遊

空中浮遊という言葉に胡散臭さを感じるのはあの忌まわしい事件のせいだが、コチドリにはなんの罪もない。

天衣無縫な生き物にしかそんな言葉を使う資格はない。

ただ宙に浮かぶそれになんの説明がいるだろうか。

天使の舞なんて言葉もなんか空々しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の繩張

潮が引いてくると現れる小さな浜に結構色々な鳥が現れる。

渡りのシーズンにはキアシシギチュウシャクシギが常連だったが、最近ではめっきり少なくなった。

それもこれもコロナ禍で海岸への志向が高まったせいだ。

以来人の出が多くなったことと、渡りのシーズンと浜でのヒジキ漁とのバッティングも関係してるかもしれない。

クロサギ留鳥で干潮時に現れる。

自分のシマと思っているのか我が物顔だ。

というか、おおむね我関せずなのだが、時々何が気に食わないのか周りを威嚇する。